死
死という未確認の事柄に対して畏怖するのは人間として無理からぬ事です。
だからこそ人間は不老不死を求めたり、死後の世界の深窓を覗こうとするわけです。
僕の死への観念はシンプルです、このブログ名である「我思う故に我あり」。
死を無をとらえるなら、死という観念を思索している自我(我)は有であり、
生きている自己(有)が死んだことによって無に帰する事にはパラドクスが存在してしまうという思考。
また僕が尊敬してやまないニーチェの「永遠回帰」
*時間は無限であり物質は有限である、よって事象は永遠に繰り返される。
仮に死を無ととらえてもそこから有が生まれる。
また、絵画などでエロティシズムを題材にしたものが多いことの理由の一つとして、
生への渇望(死への畏怖)による、エロティシズム(生そのものの象徴)への傾斜という事実もあります。
エゴン シーレの「死と乙女」なんてそういう風にみるとただのエロには見えませんよ。
<狂気の男>
死という未確認の事柄に対して畏怖するのは人間として無理からぬ事です。
だからこそ人間は不老不死を求めたり、死後の世界の深窓を覗こうとするわけです。
僕の死への観念はシンプルです、このブログ名である「我思う故に我あり」。
死を無をとらえるなら、死という観念を思索している自我(我)は有であり、
生きている自己(有)が死んだことによって無に帰する事にはパラドクスが存在してしまうという思考。
また僕が尊敬してやまないニーチェの「永遠回帰」
*時間は無限であり物質は有限である、よって事象は永遠に繰り返される。
仮に死を無ととらえてもそこから有が生まれる。
また、絵画などでエロティシズムを題材にしたものが多いことの理由の一つとして、
生への渇望(死への畏怖)による、エロティシズム(生そのものの象徴)への傾斜という事実もあります。
エゴン シーレの「死と乙女」なんてそういう風にみるとただのエロには見えませんよ。
<狂気の男>
PR

カレンダー
ブログ内検索
カウンター